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もしも今日で命が終わるとしたら、本当にやりたいことをやるだろうか?

時間は命、時間は有限、命は限りがあるから

「やりたいことをやろう!」



この表現を聞いたとき、確かにそうだなと思った。



今まで自分を抑圧してきたから、

我慢して自分を後回しにしてきたから、

その生き方がいい!と思った。



だから自分の理想をアレコレ描いて

それに向かうための学びも行動も必死にやってきた時期がある。



上手くいかなくても

「諦めない気持ちが大事」と

自分を奮い立たせては何度も失敗をして自信を失って

それでも理想に執着した結果、

いよいよどうにもならない事態に追い込まれたとき

思いっきり自分から解放された。



そして、ただ今生きていることに感謝した。



というよりも、それしかできることがなかった。



もう何もできることがなくて

完全に降参した瞬間だったと思う。



このときから私の価値観は変わり、

何かを追いかける必要もなければ何かに頼る必要もないとわかった。



生きながらにして死を体験したような感覚。



そして、もしも今日で命が終わるとしたらやりたいことを本当にやるだろうか?

そのやりたいと思っていたことは本当に必要なことなのだろうか?



好きなことをする、

会いたい人に会いに行く、

行きたい場所に行く、

自由な時間と自由な仕事・・・


きっと今日しかないとわかったらこれらのことを全く考えないと思う。



他人の言動にイライラしたり、

理解されないことに気を揉んだり、

人生が上手くいかないことの思い悩んだり、

認められたい褒められたい欲求も、

他人と比べて嫉妬する感情も、


きっとこれらもどうでもよくなっていると思う。



実際、全部どうでもよかった。



それよりも

目の前の現実、自分の世界に対して真剣に向き合って誠実で在りたいと思った。



先延ばしにしていること、はっきりさせなかったこと、

時間が解決してくれると曖昧にしていたこと、

誰かがなんとかしてくれると思っていたこと、

何よりもこの自分に対して誠実でなければいけないと感じた。



そして大切な人を大切にする、日常を丁寧にする、

という当たり前のことがどれだけ雑になっていたかを思い知る。



「やりたいことをやろう!」と言うのは素晴らしいし魅力的だけれども、

それを崇拝しすぎて自分がやるべきことをやっていなかったら、

心の渇望はずっと消えないし、それは幻想だと気づく。



時間は命、時間は有限、命は限りがあるから、

「自分がやるべきことをやろう」そう思い直した。



今まで自分を抑圧してきた、我慢してきた、

それを被害者意識としてではなく、だからこそできることがあることを知る。



だからといって、

理想を描く必要がないわけでもなく、

やりたいことはもちろんやってもいいけれど、

目の前に展開している現実を無視することは”逃げ”になっていないか。



それは「YES」を言うことであり、「NO」を言うこと。



自分の意思表現をせずに

どこかにあるラクな世界に行こうとするのは無理なこと。



自分の命がずっとあると思っているから、まだ余裕があるから、

悩むこともできるし逃げることもできる。



どうか惑わされないでほしい。



最期に後悔するのはきっと、

自分の世界を大事にしなかったことになる。



理想の未来も目標も、

そこに向かう努力も大事だけれど

そんなに自分を駆り立てる必要はない。



もしも今日で命が終わるとしたら、あなたは何をする?



Hatsumi/Bodymaster

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