自分を見失った先にあるもの
「自分を見失う」ことを恥じたり責めたり、
それを失敗ととらえることこそが失敗で、
自分を見失ってまで
手に入れたかったものが何かを知る目的があります。
振り子は必ず両極の体験をもたらすので、
振れ幅が大きい人ほど
まだ発揮されていないポテンシャルがあるということ。
自分を見失うというリスクを恐れて
何の行動も起こさずに傍観しているだけの人は
自分を見失った人のことを邪見に扱うでしょう。
けれどもそれらの人の発言や行為には
何の力もないのでスルーすることが正解。
何かをつかもうとしてチャレンジした結果
失敗と思えるような出来事や困難は
一見自分を見失ったかのように感じても
真実は本来の自分を取り戻すためにあるのです。
究極的な辛い出来事や体験から
自分が本当に望んでいるものを知ること、
何を求めているのかを思い出すこと、
その欲求を素直に受け入れることで得られるのは喜びです。
無自覚に求めてきたものを受け入れることができれば
それまで必死だった自分に感謝の気持ちが湧き上がってきて
見え方が真逆にひっくり返ります。
自分を見失わないようにするのは
そのプロセスを経てからです。
そして誰もがこのプロセスを通過しているので
優劣もなければ失敗も成功もない
それぞれの道であることを理解していると
自分自身がより高みに行くことができる。
そこにあるのは自分を生きている喜び、
欲しかったものがすでに手に入っている人生ライン、
自分を見失ったからこそ今の自分があるという感謝。
自分を見失っていることを責める前に
そこまでして欲しいものは何かと自身の声に耳を傾けてください。
Hatsumi/Bodymaster
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