与えたい気持ちvs奪いたいエゴ
心の中にあるわだかまりが解消すると真に健康になれる。
その内的葛藤によって生み出される問題に対処しても解決されないのに、自分を取り繕って何かを与えようと思っても、それは奪う行為になります。
本来の状態であれば人は精神から与えることができ、その気持ちがあるにもかかわらず上手くいかないのはエゴによる仕業だといえるでしょう。
ギバーで在りたいのに行為がテイカーだと自分を苦しめていくことになります。
それは、ビジネスにおいても人間関係においても同じ。
この葛藤から抜け出していくには、自分がテイカーであることを認めることから。
素直に認めることができないのは、それが自分の価値と結びついていると思い込んでしまうからであって、真実は全く別物なのです。
自分の価値と行為を同一化しない訓練ともいえます。
罪悪感、無価値観、後悔、嫉妬など、
今まで生きてきた中で取り込んだ他人の意見や価値観を自分のものとして「使い古したゴミ」です。
ゴミは身体に蓄積されていくので、不調や痛みは外的アプローチでは解決できない。
不要な感情が身体に染みついて自分をコントロールしているのだから、その不純物を取り除いていくとが必要で、それが「認める」ことです。
誰もが、本来は誰かの役に立ちたいと思い、分かち合う喜びを感じたいと思っている。
与えたい気持ちは標準装備されているのです。
奪いたいエゴを解放すれば心のわだかまりは解消され、自然と精神から与えられる存在になれる。
焦ることなく自分を見つめることが大事になります。
Hatsumi Yamamoto/Bodymaster
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