真逆の世界は身体で体現する
現実が壊れていくときは、
自己変革するチャンスです。
『外側は内側の反映である』
という言葉は広く理解されているし、
実践している人もたくさんいる。
けれども、
中々現実が変化することなく
苦戦している人も少なくはない。
私は願望を実現しようとか、
そういう類(いわゆるスピリチュアル)から
学びや実践をしてきた人ではなく、
ある時点から人生に行き詰まり、
道を踏み外して全てを失ったことによって
身を持って体感したのです。
やっぱり外側に力を委ねることは、
ある意味それがスタンダードな生き方だったし
お金や所有物やステータス次第で
楽しいことも実際にはあったからこそ
最後の最後までしがみついてしまったのです。
けれども、
今振り返ってみると
自分を取り囲む外側にある全ては
完全に自分を守るためであり、
また自分を失うためでもある強固な壁でした。
お金は自分の価値を測るもの、
人とのつながりは自分の力を示すもの、
モノは偽の信頼を勝ち取るためのものでした。
だから常に走る必要があったし、
それは今思うと常に焦りと不安でいっぱいでした。
何かを得ることと同じぐらい
何かを失うことを怖れて走る。
この停滞のループを繰り返していた、
進んでいる錯覚で
抜け出す必要さえ感じていなかった。
だからこそ、
現実が壊れていくことは”失敗”だと思っていたし
その先の見えない未来がとても恐ろしいものに感じた。
失っても「また復活する!」と
意気込んで走っていたけれど、
当然上手くいくはずがなく
それでも必死に動いてたのに
ある日ふと全てから解放されたのです。
このときに
『外側は内側の反映である』というのを
体感しました。
もう、今までと同じ世界は無理。
自分の価値、信頼、力、安心感、
全てはすでにあった。
とてつもない爽快感、清々しさ、
自由を感じました。
こういう表現も、
どこかで聞いたことがあるかもしれないし、
わかるようなわからないような
もどかしさや苛立ちもあるかもしれません。
何かを追い求める時期も、
失い停滞する時期も、
そこから立ち上がっていく時期も、
全ては自分の身体と共にある。
身体が重いなら、自分を労りましょう。
どれだけ遅れをとっていると感じても
休んだり眠ったり食べたり、
生きる最低限のことを淡々とする。
外側に意識を向けて生きてきた人ほど
日常の生活が雑になっていることが多く、
小さな喜びを忘れてしまっているのです。
分を生きるエネルギーレベルが
低下すればするほど、
幻想を追い求めて奔走するか
自分の殻に閉じこもるかになるでしょう。
一気に大きなことをするよりも、
何もしない自分を責めるよりも、
日々、地に足をつけながら生活することが
自分を労ることになります。
そうしていくうちに
今まで大切だと思っていたことが
それほど重要ではなくなり、
自分に対する見方や人生の価値観が変化する。
身体が軽くなると、
自分の在り方が変わるので
人生も変わっていくのは当然のこと。
身体は人生をあらわしています。
自分を痛めつけることをやめれば
喜びの存在として生きられます。
Hatsumi/Bodymaster
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